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でも、百はある

 季節は移ろい…秋の気配が感じられたかと思えば夏のような暑さに戻ったりと、体調管理にはとても気を配る今日この頃ですが、我が家の近くで聴こえるヒグラシの優しく儚げな鳴き声が秋の訪れを確かなものとして感じさせてくれます。

 

 今年度も半年が過ぎ、こども達は園内のコミュニティで毎日行っている朝・昼の会などの話し合いを通して小さな社会が出来てきました。自分よりも小さなお友達を思いやったり手助けし合ったり、また、他児の活動を見てチャレンジしてみようとする姿を見るたびに、互いの個性や表現を認めあい自立した関係性を築き上げている子ども達の姿に畏敬の念を感じずにはいられません。

 

 レッジョ・エミリア教育の指導者的存在であるローリス・マラグッツィ氏の有名な詩『でも、百はある』にも記載されているとおり、子どもにはたくさんのことばがあります。それは試行錯誤する中で実感としてわき出る表現であったり、「言葉」ではないことばであったり…いずれも微かで、ともすれば大人が見逃してしまいそうな子どものことばに寄り添い、“今この瞬間”を丁寧に過ごす事の意味を改めて考えてみたりします。

 

 ある日の出来事。お散歩から帰ったら、先ずおててを洗い、お着替え、それから食事…が帰園後のルーティン。だけど、Rちゃんはなかなか水道の前から動こうとせず、水道から自分の手の中へ落ちていくお水をジーッと真剣な表情で見つめています。Rちゃんの手の中をのぞき込んでみると、お水が溜まり小さな渦を描いたかと思うと、少し盛り上がってから手のひらからこぼれ落ちていきます。どれくらいの時間が過ぎたのでしょうか?Rちゃんの表情がふっと緩んだかと思うと、私の方を向いてニッコリと笑顔を見せ蛇口を閉めてお着替えに向かったのでした。五感で感じ思考しているその瞬間々々に子ども達は「言葉」にならないことばを発し、傍にいる信頼できる大人とそのことばを共感、そして十分に安心できる環境の中で探求する心が更に育つ。そんな日々の積み重ねが“互いの個性や表現を認めあい自立した関係性を築き上げている子ども達の姿”につながっていくのではないのでしょうか。

 

 

 

 しかし、『でも、百はある』の詩には“けれど九十九は奪われる”という厳しい一文もあります。私たちはこの言葉から何を感じ取り、どんな風に子ども達の“ことば”と向き合うのか?「一人ひとりの存在そのものを喜び、互いに育みあうコミュニティを創造する」の保育理念の元、保育園で共に生活する仲間として尊重し合い育み合う関係性を作り上げて行きたいと、そう願っています。

記:園長